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大津簡易裁判所 昭和49年(ろ)97号 判決

被告人 脇本孝敏

昭一四・九・二一生 会社員

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は、

被告人は、昭和四九年一月一四日午後一時三〇分頃、滋賀県公安委員会が道路標識によつて車両の通行を禁止した場所である大津市大門通六―一六地先道路において、前方の道路標識の表示に注意し、通行禁止場所でないことを確認すべき義務を怠り、同所が通行禁止場所であることに気がつかないで、普通乗用自動車を運転通行したものである。

というのである。

二、被告人は、公訴事実記載の日時頃、普通乗用自動車を運転し、大津市三井寺町から鹿関橋を通り、滋賀県公安委員会が道路標識によつて車両の通行を禁止した場所である大津市大門通六―一六地先道路(以下本件道路という)を大門通に向けて直進しようとして鹿関橋上にさしかかつたところ、本件道路入口の丁字型交差点左方の道路から鹿関橋に向けて、十台位の自動車が渋滞状態で右折進行しようとしていたので、左方道路の右折しようとする自動車の動向を注視し、本件道路入口の左端を見たが、通行禁止の道路標識がなかつたので、本件道路入口右端に設置されている道路標識(以下本件道路標識という)を見落し、本件道路が通行禁止の場所であることに気づかないで、本件道路を通行したものである。右事実は、被告人の当公判廷における供述、司法巡査原田隆ほか一名作成の現認報告書、司法警察員今井義人作成の調査復命書、滋賀県公安委員会昭和四六年告示第八九号により認めることができる。

三、司法警察員今井義人作成の調査復命書、当裁判所五〇年三月二五日及び同年五月六日の各検証調書、滋賀県公安委員会昭和四九年告示第四九号によれば、次の事実を認めることができる。

1  本件道路入口左端付近における道路標識の設置状況は次のとおりである。

(イ)  別図A点に別図のように、「大型車両通行止め」の規制標識(規制時間七時から二〇時まで)が四二年一月三〇日に設置され、四九年九月二日から車両(組合せ)通行止めの規制時間が七時から二〇時までに変更になつたので、同月一日撤去された。

(ロ)  別図E点に、「学校、幼稚園、保育所等あり」の警戒標識が設置されている。その道路標識は、設置年月日が不詳であるが、一〇年以上経過したもので、検証調書添付写真4で明らかなように、根元から北方に向けて約六〇度の角度に傾斜し、かつその先端の標識板が道路左側にある民家の樹木の枝葉の中に突込み、枝葉に隠れて見にくくなつていて(検証調書添付写真4、6、7、8参照)、道路標識としての効用を失つているような状態のものである。

(ハ)  別図C点に別図のように、「自転車及び歩行者専用」の規制標識が四九年三月一五日に設置され、その規制時間は七時三〇分から九時まで及び一三時から一五時までであつたが、四九年九月二日から七時から二〇時までに変更された。

(ニ)  別図D点に、三尾神社方面から本件丁字型交差点に向けて東進する車両に対し、「指定方向外進行禁止」の規制標識が四七年五月六日に設置されている。

2  本件道路入口右端には、別図B点に、「車両(組合せ)通行止め」(以下単に「車両通行止め」という)の規制標識が四五年一一月一日に設置され、その規制時間は七時三〇分から九時まで及び一三時から一五時までであつたが、四九年九月二日から七時から二〇時までに変更された。

3  したがつて、本件当時本件道路入口には、右端には別図B点に、「車両通行止め」規制時間七時三〇分から九時まで及び一三時から一五時までの規制標識が、左端には、別図A点に、「大型車両通行止め」規制時間七時から二〇時までの規制標識が別図E点に、「学校等あり」の警戒標識がそれぞれ設置されていた。

四、1 道路交通法四条一項は、「都道府県公安委員会は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、又は交通公害その他の道路に起因する障害を防止するため必要があると認めるときは、政令で定めるところにより、信号機又は道路標識等を設置し、及び管理して、交通整理、歩行者又は車両等の通行の禁止その他の道路における交通の規制をすることができる」、同法八条一項は、「歩行者又は車両等は、道路標識等によりその通行を禁止されている道路又はその部分を通行してはならない」旨規定している。右規定によると、公安委員会の行う道路の通行禁止は、政令で定めるところの、その処分の内容を標示する道路標識を設置して行なわなければ法的効力を生じないものである。そして、同法四条五項は、「道路標識等の種類、様式、設置場所その他道路標識等について必要な事項は、総理府令・建設省令として、道路標識、区画線及び道路標示に関する命令(以下道路標識等に関する命令という)を定め、同令二条、別表第一によれば、車両通行止めの道路標識の設置場所は、標示板の記号によつて表示される車両の通行を禁止する区域、道路の区間もしくは場所の前面・・・における道路の中央又は左側の路端と定められている。

2 そうすると、本件道路標識は、前述のように道路右側路端に設置されているから、道路標識等に関する命令に違反するようである。ただ、同令の別表第一の備考二には、「道路の形状その他の理由により、道路標識を同令の定める位置に設置することができない場合又はこれらの位置に設置することにより道路標識が著しく見にくくなるおそれがある場合においては、これらの位置以外の位置に設置することができる」旨定められている。

3 そこで、本件道路標識の設置が道路標識等に関する命令別表第一の備考に該当する場合であるかどうかについて検討する。

同令別表第一の備考二前段の「道路の形状その他の理由により、道路標識を同令の定める位置に設置することができない場合」とは、主として、同令の定める設置場所に、交通の妨害にならない限度において、道路標識を設置する場所的余地がない場合をいうものと解するところ、各検証調書によれば、本件当時本件道路の入口左側路端においては、別図で明らかなように、本件道路標識を設置する場所的余地は十分にあるものと認められる(別図C点付近に余地がある)。そのほか、道路標識を設置することができない場合に該当する事由の存在を認めることができない。

次に、同備考二後段の「これらの位置に設置することにより道路標識が著しく見にくくなるおそれがある場合」とは、道路標識を設置しても、その道路標識自体が見にくくなるおそれがある場合と、道路標識を設置することによつて、既設の他の道路標識が見にくくなるおそれがある場合とが考えられる。各検証調書によれば、本件道路の入口左側路端においては、現在設置されている「自転車及び歩行者専用」の道路標識の位置(別図C点)に本件当時本件道路標識を設置したとしても、その道路標識自体見にくくなるおそれは認められないし、既設の「大型車両通行止め」の道路標識が著しく見にくくなるおそれも認められない。

検察官は、「大型車両通行止め」の補助標識(規制時間七時から二〇時まで)と本件「車両通行止め」の補助標識(規制時間七時三〇分から九時まで及び一三時から一五時まで)の視認性がまぎらわしくなり、かえつて道路標識全体の視認性を阻害することとなるので、道路標識が著しく見にくくなるおそれがある場合に該当する旨主張されるが、各検証調書によれば、右両道路標識の補助標識が著しく見にくくなるおそれがあるものとは認められない。このことは、現に本件後の四九年三月一五日から同年九月一日までの間、本件道路入口の左側路端に、別図のように、「大型車両通行止め」の道路標識及びその下に付置された規制時間を示す補助標識と、「自転車及び歩行者専用」の道路標識及びその下に付置された規制時間を示す補助標識が共に設置されていたことからも明らかである。

4 もつとも、別図C点に本件道路標識を設置すると、別図E点にある「学校等あり」の警戒標識が多少見にくくなるおそれがあるようであるが、同標識は、前述(三―(ロ))のようにその効用を失つている状態のものであるから、これが多少見にくくなつたとしても、道路標識等に関する命令別表第一の備考二の「道路標識が著しく見にくくなるおそれがある場合」には該当しないものというべきである。かりに右道路標識が効用を失つていないとしても、本件道路標識を設置する際に、右道路標識を真直に立て直すなどの手段を講ずれば、同標識が著しく見にくくなるおそれがないものと推測される。

五、道路交通法施行令一条の二は、「法四条一項の規定により公安委員会が道路標識を設置し、交通の規制をするときは、車両等がその前方から見やすいように設置しなければならない」と規定しているが、別図で明らかなように、鹿関橋から本件道路入口に至るまでの道路は、ほぼ直線で、見透しは良好であり、かつ本件道路入口の幅員は約六メートルで、あまり広くないから、本件道路標識が道路右側の路端に設置されていても、必らずしも見やすいように設置されていないということはできない。

ところで、道路標識等に関する命令が設置場所として道路の中央又は左側路端と定めたのは、車両の左側通行が法定されており車両の運転者は道路左側の標識に注意することを習慣づけられているから、一般的には、道路の左側路端の方が右側路端よりも見やすいと考えたためであると解する。したがつて、道路の幅員が極めて狭く、道路標識を道路の右側路端に設置しても、極めて見やすい場合はともかく、一般的には、道路標識等に関する命令の規定に反して道路の右側路端に設置した道路標識は、道路交通法施行令一条の二にいうところの、前方から見やすいように設置されたものとはいえないものというべきである。本件道路においては、その幅員が約六メートルで極めて狭いものではなく、かつ、本件道路の手前には左方へ通ずる道路があるため、自動車の運転者にとつては、左方道路から進行してくる車両との安全を注意しながら進行しなければならないので、右側路端に設置された本件道路標識は必らずしも見やすいものとはいえないのである。

六、そうすると、本件道路標識は道路標識等に関する命令に違反し、右標識によつては、本件道路を北進(大門通に向けて進行)しようとする車両の運転者に対し、本件道路の通行を禁止する旨の通行規制が適法かつ有効になされているものということができない。したがつて、被告人が本件道路標識を見落して、本件道路が通行禁止場所であることに気づかないで、右道路を普通乗用自動車を運転通行したとしても、なんら過失による車両の通行禁止の罪は成立しないものというべきである。

よつて、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 板川正三)

別図〈省略〉

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